納得いかない 1 | 彦坂様 | |
上役の出払った、昼下がりのオフィス。 メールに添付された見積書を開くと、合計欄の金額の隣に「キス3回」が計上されていた。 一瞬浮かびかけたイメージを頭を振って追い払ったスコールは、モニターを睨みつける。 (……何を考えてるんだ、まったく) 心の中で苦々しく呟いて、眉間を押さえた。 こういう冗談はやめてくれ、と前回のメールで抗議したはずなのだが…。 「キスティス…打ち合わせにいい店があったら、教えてくれないか」 次の対策を気重く思案しながら、対面のデスクに声を掛ける。 呼ばれたキスティスは、眼鏡越しの視線を手元の書類からスコールへと移した。 「…夜?」 「昼」 簡潔な返事を聞いて「まあ、即答」とキスティスの口元が綻ぶ。 「そうねえ…6丁目の新しい店はどう? ランチは混んでるけど、その時間さえ外せばゆっくりできるわ。クラシックな雰囲気で、なかなか素敵よ」 本当は夜の方がお勧めなんだけど、と頬杖をつく同僚の提案に、スコールは注文をつけた。 「素敵じゃないとこで頼む」 「どうして? デートでしょ?」 「…デートじゃない」 渋面を作ったまま、スコールは彼女の表現を訂正した。 オフィスで「打ち合わせ」と言えば、普通は仕事の話だろう。 何だって根拠も無いのに、恋愛絡みと決めつけてくるのか… (これだから、女性の同僚はやりづらいんだ…特に、年上の女性は) 問題の添付ファイルを閉じて、心の中で呟くスコールだが、キスティスから思いがけない追い打ちが来た。 「だって、会うの、サイファーなんでしょう?」 (…え、) キスティスはデスクチェアの上で優雅に脚を組み替え、スコールの驚いた顔を楽しそうに眺めている。 「なんで…! いや、何であっても、とにかく違う」 力を込めて打ち消すスコールに、キスティスはからかうように畳みかけた。 「"デート"? "サイファー"? …それとも両方?」 「………、"デート"が違う。さっきから言ってるだろ」 両方だ、と言いたかったが、嘘がバレたら余計に怪しまれる。 (いや、そもそも嘘をつく必要なんか、何処にもないじゃないか) スコールは自分の考えにもムッとして、不機嫌に口元を引き結んだ。 その様子に、キスティスはますます目を細める。 「…メールで済むのに、ふたりきりで会うんでしょ?」 「変なメールよこすな、って言うだけだ」 「あれは熱烈よね」 訳知り顔で頷かれ、スコールは唖然とした。 「…何で知ってる」 「うちのメールサーバの管理者、わたしだもの」 キスティスはしれっと白状すると、デスクの上のマグカップを取り上げた。 「…、あんた、見てるのかっ」 「可愛い後輩が、メール開けて毎日ため息ついてれば、見るわよ。わたしにも言えないトラブル抱えてたら困るでしょ」 コーヒーを一口飲んだキスティスに「業務用のメアドだしね?」と言われてしまうと全くその通りで、スコールはそれ以上の抗議を呑み込む。 「これからは、見なくてもいい。業務上のことなら、ちゃんとあんたには相談する」 「あら、残念」 「それに、どうして取引先への申し入れが"デート"になるんだ。…だいいち、俺は男にそういう興味は無い」 不満げなスコールに、キスティスはにっこり微笑んで首を傾げた。 「そうなの? でも、貴方は口説くより口説かれる方が似合うと思うけど」 「……」 (……それは、どういう意味なんだ) あれこれ考える気力が失せたスコールは、再び大きく息をついて、話を元に戻した。 「キスティス。…店の名前は?」 「…結局、"素敵なとこ"でいいの?」 「もう、何処でもいい」 スコールはすっかりふてくされて、「あんたのふざけたメールについて話がある」という趣旨の文面をだかだかと打ち、ろくに推敲もせず、送信ボタンをクリックした…日時の指定も忘れるほど、投げやりになっていた。 * * * * * 少し離れた別のオフィスで、新着メールを知らせる軽やかなアラームが鳴った。 「早ええな、もう返信来たぜ。お、マジか! 話があります、だってよ!」 さっそくメールを開けて、歓声を上げる隣人に、アーヴァインは肩をすくめる。 「サイファー、仕事してよ」 「ああ? なんだよ。俺はちゃんと“お仕事”してるだろうが」 たしなめられた本人は心外そうに、壁のグラフを顎で指してみせた。 「今月は、お前のほうがヤバいだろ。せっかく実入りの良いとこと取っかえてやったのに、逃しやがって」 今、もっとも突かれたくない痛点を突かれたアーヴァインは、胃のあたりを押さえて呻いた。 「うっ…、そりゃ、君はノルマはこなしてるけどさぁ。…あんまりスコールを苛めないでよ」 相手はあの繊細なスコールなのに、この豪放なサイファーに任せておいて大丈夫なのか…引き継ぎした前任者としては、気になって仕方ない。 「別に苛めてねーよ。だが…ま、だいぶ怒ってるみたいだな。肝心の日時が抜けてる」 サイファーはくっくっと笑い、メールのウィンドウをスクロールして短い全文を確かめた。 「窓口、僕に戻してくれってって話じゃないの?」 サイファーに担当の座を強奪されたことに、不満が無いといえば嘘になる。 そもそも一昨年の春、取引先のキスティスに、配属されたばかりのスコールを紹介された時点では、実のところ、アーヴァインも心の中で(やりにくそうだな)と思った。 それが、だんだんと気ごころが知れてくると、スコールの常にきちんとした仕事ぶりと、ふとしたときに覗くシャイな内面に次第に心惹かれ、密かにお気に入りの仕事相手になっていたのに… 「用件が何でも、要するにふたりで会おうって事に変わりねえだろ」 つい二ヶ月前、本社から隣の席に戻って来たこの男をスコールに会わせた途端、「面倒なのと抱き合わせならいいだろ、担当変われよ」と強引に押し切られてしまった。 「それにしても、妙に良い店指定してきたな」 サイファーが文面を眺めて首を捻ると、アーヴァインも隣からモニタを覗き込んだ。 「ああ、あの店ね〜。キスティの趣味でしょ」 「なるほどな。いかにも好きそうだ」 アーヴァインは覗き見ついでに、メールの全文に目を通し、顔を曇らせた。 「こーんな呼び出し食らうほど怒らせちゃって、この先どうする気〜?」 クレームの絶えない他社を引き取ってくれたのは有難いけれど、このままじゃスコールに取引ごと絶縁されるんじゃないか…そんなアーヴァインの心配を余所に、サイファーは上機嫌だ。 「お前、分かってねえな。スコールみたいな奴は、怒らせるぐらいのほうが早えんだぜ」 「もー、乱暴だなぁ」 「お前が呑気過ぎるんだ。そんなんだからヨソに負けちまうんだろ」 「うわっ、またそれを言う〜?」 アーヴィンの悲鳴を聞き流し、サイファーは店のサイトにアクセスすると、受話器を取り上げ、ためらいなくコールナンバーを押した。 「お忙しいところ失礼、予約を入れたいんですが。ええ、今夜8時、ふたりで」 しばし受話器の向こうからの返事を待って、サイファーの目が輝く。「ラッキー、空いてるってよ」 「君ってほんっとに、こういうとき素早いよねえ…」 首尾よく予約を済ませ、続けて早くもスコールのオフィスのナンバーを押し始めているサイファーに、アーヴァインは半ば本気で感服し、ため息をついた。 |