記憶時計 - Side of Squall - | 渡邊 直樹様 | |
『これから行っても良いか』 短い一言に胸がズキリとする。 もう何年も変わらない、変わりようがないやりとりにため息が零れる。 会いたくないわけじゃない、むしろ会いたい。 遙か年下のその人は、いつも自分を振り回す。振り回されっぱなしの自分が少し情けなくなりもする。 だけど ───── この関係性は変えられない。 『待ってる』 短く、素っ気ない返信。 また会った時に何か云われるんだろな。 付き合いだしてからの時間は数えるのもイヤになる。 どれだけ時間が経っても変えられない自分に嫌気がさる。 拭えない不安はずっと消せないまま、自分の中に積み重なっている。 「……お前達みたいになれたらいいな」 部屋の広さには不釣り合いなほど大きな水槽に泳ぐ、金魚。 最初に部屋に来たのは何時だっただろうか? 一番最初にきた奴はすでに残り一匹となって、図体も他の奴よりは一回り以上大きくなっていた。 そのまわりを、数が少ないのはかわいそうだと買ってきた小さな奴が遠慮がちに泳いでいる。 自分と、あいつみたいだなと思う。 でかい金魚が彼奴で、そのまわりをぐるぐるしているのが自分。 以前のように、そう、まだ彼奴が学校に通って来ていた頃はもう少し気分も楽だったような気がする。なんだかんだといって毎日姿を見ることができた。姿を見るのが辛い時もあったけれど、でも、あのころの自分に教えてやりたいぐらいに会えない時間のほうが長い今が辛く思える。 会えない時間が嫌いだから、会える時間は嬉しいけれど会いたくない。 別れる時間が嫌いだから、離れる時を味わいたくなくて会いたくない。 かといって四六時中一緒にいるのも。 ぐるぐると回る思考は止まることを許さず、これから会いに来る人のことばかり思う。 そうしている間に扉をノックする音が聞こえてくる。 「はい」 「よぉ、先生」 開いたドアの向こうには、少し成長したその人の姿。 自分が務める高校を卒業し、そしてなんだかんだと大学もいきいまは立派なサラリーマンとなった人の姿。 「はぁ……アンタ、いつまで俺の生徒気分なんだ?」 「おじゃましまっすと……しょうがねぇだろ、昔のクセってやつだよ。よ、お前達も元気だったか」 少しだけ疲れた表情をしているのは仕事帰りなせいだろう。 仕事が忙しいんだろうと思えた。 それもそうか。 しがない高校教師とは違うよな。 背広の襟についた社章は、この国でもそこそこ名前をしられた商社のそれ。 さぼり魔だった高校時代しか知らない自分には、まるで想像の出来ない違う世界のもの。 昔は、子供だ子供だと思ってた。 高校生にもなってヤンチャがすぎる、手のかかる生徒だと。 その相手がこんなにも大人びた男の表情を見せだしていることに慣れない。 違うな、慣れないんじゃない ───── その……格好良すぎてまっすぐに見るには恥ずかしい。照れくさいんだ、まだ。 「サイファー、お茶でいいか?」 「あ、そこで飯かってきたからついでに喰うわ」 「背広、しわになる前にかけておけよ」 「へいへいへい」 「返事は一回だ、サイファー」 「わっかりました、せんせー」 「アンタ、変わらないな。久しぶりに会ったっていうのに」 息苦しさから逃れる為にたったキッチン。 何気ないやりとりに少しほっとする。 やはりサイファーはサイファーなのだと。 「変わっただろ? キスよりめし優先なんだからよ」 云いながらがさがさとコンビニの袋から弁当を出す。 こういう所は成長したよなとつまらないことを思った。昔は腹減ったと騒いでいたもんな、あんた。 自分で飯を用意してくるだけましになった。 「前言を撤回しよう。アンタ、歳とったな」 「もうガキじゃねぇからな」 「俺にとってはいつまで経っても生徒だったことには変わりない」 変わりがなさすぎて、困っているんだけどな。 それは目の前の奴には教えてやらない。 生徒でいた頃から、元生徒になっても変わらずに困っていることなど。 「さっきと云ってることが違うぜ、せんせ」 「忘れろ」 「宿題にしとく」 莫迦だろ、あんた。 なぜなら ───── 「アンタに宿題を出しても提出された覚えがないんだがな」 「そうか?」 「あぁ、俺がみてきた中でアンタが一番できの悪い生徒だった」 「ひどいな」 「本当のことだ。出来のいい生徒は教師を口説いたりしない。ましてや ───── 特別な感情を抱かせることなんかしない」 食べ終わった弁当をゴミにまとめていたサイファーの手が止まり。 自分がつい口にしてしまった言葉を振り返り、しまったと思った。 あぁでも、こんなサイファーをみるのも悪くはないと思えるあたり、自分はそうとうイカレテル。 「心臓に悪いぜ、先生」 真っ赤になる表情をみせて、あわてたように茶を飲み込む姿は学生のころと変わらない。 「事実を云ったまでだが?」 「泊まっていきてぇ〜〜」 どこをどうしたらそういう発言になるのか、考えたくもない。 というか、だ。 今日はそれは絶対にお断りしたい。 「ダメだ。明日は模擬試験があるからな」 「ちぇ・・・、じゃぁそろそろ帰るかぁ。なぁ、来週なら良いだろ?」 「月曜の職員会議次第」 立ち上がりながら、背広を手に取るサイファーに寂しさを感じ始める。 不思議だよな。 泊まるのはダメだと云いながら(実際明日のことを思えば当然のことなのだが)、もう少し側にいたいと思っているなんて。 そのくせ、早くこの時間が終われば良いとも思っているだなんて、な。 だって、そうだろ? 「そっか。それ逃すと俺も週末忙しいんだよなぁ」 会っている時間が長ければ長いほど、会えない時間が長く感じる。 見慣れた部屋が、寒々しく思える。 だから、この部屋で会う時間は短い方が良い。 「仕方が無いな」 「あーあ、接待ゴルフなんか行きたくねぇよ。先生と居たほうがずっと楽しいもんな」 俺も、同じだけどな。 でも絶対に云ってやらない。 云ったが最後、どんな手を使っても帰らないだろうことは経験済みだから。 それに。 「じゃぁ帰るわ、またな先生」 そんな風にあっけなく立ち去っていった扉が、また開く日を待つのも悪くはない筈。 そうとでも思わなければ、やっていられないとも云うが。 そうだろ? いつまでこんな関係が続く? 続けられる? 変わっていくあんたを見ている時間が、これからどれだけあると思う? 怖いのかもしれない。 いや、怖いんだろうな、きっと。 いつか、あんたがここを訪れなくなる日が来るだろうことを考えて。 いつか、あんたからの連絡が来なくなる日を想像して。 これ以上、スキになることがきっと怖くて怖くて仕方がないんだ、俺は。 「……ごめんな、サイファー」 聴く人のいない言葉が零れる。 聴かせたくはない言葉が、自然と口から零れでる。 「俺は、怖いんだ。未だに、いや ───── いまだからこそ……」 変わっていく環境。 自分の知らないところで変わっていくサイファー。自分の知らない誰れかと知り合っていくサイファー。 そして、いつか変わってしまうかもしれないサイファーの気持ち。 だから、自分からは絶対に呼んでやらないと決めている。 だから相手からのコールを待っている。 いつかの為に ───── 「今度は、いつ会えるかな……」 End. |