Bright Colors 1 麻木 りょう様


 これで終わりだから…あと、もう少しの我慢だから。

 終業時間を控えなお、電話の呼び出し音が響くフロアで、ワイン色のネクタイを軽く締め直しながらスコールは出力した書類が出来上がるのを待っていた。提出してもどうせ、1回ではOKが出ないのだろうと思うと気分が重い。それは何も、自分の仕事に自信がないからではなく相手が理不尽だからだ。古く仕事の遅い機械ならまだしも、相性の悪い相手と組んで仕事をするのはキツイ。スコールは入社して半年、そんな相手…金髪翠眼のサイファーという一年上の男の下に付いていた。しかしこの仕事を最後に担当替えが行われる。スコールはそれだけを楽しみに仕事に向かっていた。
 順番を待ってようやく出来上がった書類を手にする。嫌で仕方ないのだが、彼に言い付かった仕事だから彼に届け、彼の了承を得なければ終われない。スコールは自分のデスクのある島にゆっくりと戻っていった。

「…先輩」

 サイファーのデスク横に立ち、そう呼んでも想像通り返事はない。スコールは仕方ないといった風に溜息を零した。営業職に就くならスーツの色は紺が基本だろうという考えを持つスコールはまず、彼のグレーのスーツが気に食わない。縦糸に黒、横に光沢のある糸を使った洒落たグレーの織地にはセンスを感じるが、それが仕事に適しているとは思えない。その上に淡いピンクのネクタイなど、まったく以って有り得ないと思うのだ。

「サイファー先輩」
「あ?なんだ」

 『なんだ』はないだろうと思いながらスコールは顔を引きつらせる代わりに、苦手な笑みを口元に浮かべた。用があるから呼んだのだ。いやそれ以前に、自分が傍に立った時点で顔を上げたっていいじゃないかと彼はサイファーの態度に苛立ちを覚えた。しかしそんな心の内など微塵も見せず、スコールは書類を提出した。

「これ、明日のティルミット社との打ち合わせ資料です。チェックお願いします」
「ああ」

 書類を受け取ったサイファーはぺらぺらと数枚捲っただけで『やり直し!』とスコールに突き返す。誤字脱字はもちろん、資料となる数字にだって完璧なチェックを行って提出したというのに、いったいどこがいけなかったのかとスコールはサイファーの顔を見て無言の抗議を行う。しかし眼鏡の奥の翠の瞳はすぐに机上のノートパソコンの画面に移ってしまう。そして彼は顔も上げずキーボードを叩き続けた。

「あの…」
「少し待て」

 サイファーのこんなヒトを馬鹿にしたような態度が気に障る。まさか、ただの嫌がらせじゃないだろうなと返事を待っていると、メールを一通打ち終わった彼は眼鏡を外して椅子を回しスコールを見た。じっと見られたら見られたで、その鋭い視線には威圧感を覚える。入社2年目にしていくつもの大手企業を担当している、さすがは優秀な営業だ。視線にさえ力を感じる。とはいえ、自分の仕事に自信があったスコールは負けずに視線を返した。

「ティルミット社はトラビアに本社があるんだぞ。こっちみたいに杓子定規な提案をしたって響かない。オレが何を言いたいのか分かるだろ?あ…おい、キスティス!!今日の予定、キャンセルだ。こっちがどうにも終わりそうになくてな、残業確定だ」

 話の途中でフロアに入ってきた者に目をやり、サイファーは大きな声を飛ばす。自分が傍に立っても顔も上げないくせに、女性相手だとこうも変わるのかと思うと腹も立つ。しかも隣のデスクの社員は電話応対をしていると言うのにそんな大声で、とスコールは彼のがさつな性格にも顔を顰めた。

『…あらそう。分かったわ』と返したのはこちらもひとつ上の先輩で、社内一の美人と言われる秘書課のキスティスだ。上司に用があって出向いてきたのか、サイファーに向かって小さく笑みを送るときりりと表情を引き締めフロアの奥へ向かった。たとえ年次が上であっても彼女と話が出来る者などそうおらず、あれほどフランクに話し掛けるサイファーに――しかも約束を取り消すなど――と、フロア内がざわめいたが、彼はそれを気にするでもなく視線をスコールに戻した。

「悪いな、話が途中になった。…とにかく、今日中に上げてくれ」
「………ハイ」

 キスティスの件ではないがスコールはサイファーから指示をもらう間にも、既にかなりの不満を覚えていた。意識的に上げていたはずの口角が下がっている。いつものことだが指示に具体性がなく、分かりづらい。これもただの意地悪かと思ううちに、いつの間にかそれを前に突き出してしまっていたのではないかとスコールは唇をきゅっと横に引き短く返事をしたのだった。


 入社半年、研修明けからサイファーに付いて仕事をしているスコールの彼に対する印象は良くない。これまで真面目に優等生路線を歩いて来たスコールにとって、サイファーという男はどこか道から外れている様な気がして相容れない存在なのだ。しかしまったく無視できないのは、彼がこれで実に優秀な成績を収めていたからだ。聞けば今のスコールと同じ入社半年の頃に、上司の気まぐれでもらったチャンスで見事競合相手に勝って大きな契約を取ったらしい。グレーのスーツなんかで仕事に就くサイファーを良く思えなかったスコールは、ただの噂だろうと思っていたが、彼の下に付いてみて、その手腕を否定出来なくなっていた。

「…これ、トラビア受けする色の優先順な。グラフの一番には必ず黄色を使えよ」
「何でですか?」
「知るか、そんなこと」

 デスクに戻ったスコールは隣に座るサイファーからぺらりと寄越された紙を受け取った。彼は相変わらずパソコン画面に視線を向けたままだ。手にしたものは表計算ソフトで作られたテンプレートだった。ソフト付属のテンプレートの配色は赤が一番上だ。それはヒトの視覚的に一番訴求力が強いことが理由となっている。それなのに何故黄色にするのかと問うと、手も止めずぞんざいな言葉だけが返ってくる。
 根拠もないコトを用いても意味がない。しかし、そうしなければ自分の作った書類はまた否定されるのだろうと溜息を零したところに再びサイファーの声が届いた。

「キスティスが教えてくれたんだよ。絶対効果あるってさ」
「…へえ」
「それからトラビアとは文化が違う。先入観は捨てろって言われたな」
「………結果は?」

 どうせ納得出来るだけのモノなど返って来ないのだろうと思っていたスコールに、今度はサイファーの自慢げな声が届けられた。

「オレの出世作、知らねえの?」

 ぎゃふんと言わせようと思っていたのに『え?』と思わず顔を上げてしまったのは自分のほうだった。『ようし、決まった』と言ってサイファーはメール添付で返信されて来た注文書をプリントしていた。彼の補佐に付いていたから分かる…今、彼は客の元に一度も出向くことなくメールのやり取りだけで仕事を取ったのだ。

 プロセス、スピード、話術…技術とでも表したほうがいいのだろうか、サイファーには元々人並み以上に仕事をこなす力が備わっている。更には早く的確な情報を得る方法と使い方を本能的に知っている。男らしい容姿や良く言えば豪傑な性格からも、彼は自分がヒエラルキーの上に立つ存在であることを存分に示していた。

 自分には同じ、いやそれ以上の力があると自負するスコールは思う…反抗心を抱くくらいなら、対抗心を燃やしたほうがいいと。しかし、そのプライドをサイファーは容易く圧し折ってくれるのだ。だからスコールは彼が気に食わない。仕組みも理解し、自信もある。それなのにまだ担当の客さえ持たせてくれないことに不満を抱いていた。

…まったくふざけた会社だ。こんなやつに上客を持たせるなんて。俺ならもっと客に対し真摯に取り組む。いくら仕事とはいえ、取ればイイってモンじゃないだろ!

 とは思いながらも、スコールは手元の仕事に大きなマルをつけてもらわねばならない…隣に座る、サイファーに。スコールは自分の力を認めさせることに躍起になっていたのだった。







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