0823│彦坂 様

 8月23日の朝。
 目を覚ましたとき、すでにサイファーは居なかった。
 空調のほど良く効いた室内で、セミダブルのベッドの空いた右側をぼんやり眺める。
 狭いから自分のベッドで寝ろと何度も言っているのだが、いつからか、そこが彼の定位置になってしまっている。
 シーツの上で伸びをして、枕元に置いたスマホで時刻を確認する。
 6時前だ。
 明け方4時には任務に発つと言っていたから、無事出かけたのだろう。
 そういえば眠りのなかで、何か声を掛けられたような気もする。
 首を回して身体を起こし、ベッドルーム全体を眺めた。…異状なし。
 髪の寝癖を手櫛で梳きながら、スリッパを履いて部屋を出る。
 キッチンに入り、冷蔵庫から自分のミネラルウォータのボトルを取り出し、グラスに注いで一口。
 クリアな味だ。普通に水だった。
 ほの明るい庫内にも、特に変わったものはない。
 ざっとリビングルームの中も見渡す。
 テーブルにメッセージぐらい残してあるかと思ったが、見当たらない。
 シャワーを浴び、身支度を整える。
 バスルームも洗面所も、当然ながらいつもどおりだ。
 別に期待していた訳じゃないが、何も無いのが意外だった。
 …考えてみれば、サイファーが俺の誕生日を祝うようになって、もう3回目だ。
 その間に、誕生日以外の記念日も含めてたくさんのイベントがあった。
 そのたび、スリッパのなかにプレゼントが入っていたり、朝食がピンクのバラと銀の砂糖飾りの載ったケーキだったり、目が覚めたらいつのまにか無断で車に乗せられて高速を走っていたりと(もちろん休日ではあったが)、突拍子も無い祝い方をされたものだが、サイファーもそろそろ、そういう子どもの悪戯じみたサプライズに飽きたのかもしれない。
 指揮官用の制服を着込み、ジャケットのポケットにスマホを入れる。
 念のため、全てのポケットを調べてみたが、何も仕掛けはなかった。

 * * * * *

「おはよう、スコール。それと、お誕生日おめでとう」
 執務室に入ると、窓際の観葉植物に朝の水やりをしていたキスティスが水差しを片手に振り返り、にっこり笑って俺を迎えた。
 昨日まで出張だったせいで、俺のデスクの上は書類の山だ。
「…すごいプレゼントの量だな?」
「まだまだ、これも全部そうよ」
 デスクの上だけでなく、足元にはコンテナが積まれ、そのなかにも決裁待ちの書類がぎっしりと詰まっている。
「…」
 容赦ない。
 黙り込んだ俺にキスティスは微笑み、俺の目線と反対側の、ローチェストの上を指し示した。
「本物のプレゼントや、バースデイカードはあっちよ。昨日までに来た分だけだけど」
「ああ…」
 カラフルにラッピングされた箱や、小さなペーパーバッグがいくつか並んでいる。
 添えられたカードにざっと目を走らせると、今はバラムを離れているリノアやセルフィからのものもあって、後で連絡をしなければと思う。
「これは、わたしから」
 キスティスが、コーヒーの入った真新しいカップをデスクに置いてくれた。
「…ありがとう」
 コーヒーの色合いと調和する、ブルーグレイのシンプルなマグカップだった。
 先月、ずっと使っていたカップを割ってしまってから、紙コップで済ませていたのを見かねたのだろう。
「それと、後から年少組の子たちが、レオンハート指揮官にカップケーキを持ってくる予定になってるわ。笑顔で受け取ってね、笑顔で」
 それこそお手本のような笑顔で念を押され、思わずため息をつく。
 年少組の作るカップケーキは、以前は学園長に差し入れられていたのが横滑りして俺に回ってくるようになったもので、いつも凄まじいデコレーションが施されている。
 そういうのは指揮官向きじゃない、と引率してくるゼルに申し入れしても、子どもたちがやりたがってんだから、とまったく聞き入れてもらえない。
 PCを立ち上げると、こちらにもいくつか私的なメールが届いていた。
 ラグナからのメッセージには、ウイルスかと思うほど重いムービーが付いていて、内容が思いやられるが、開封は後回しにする。
 まず、仕事だ。


 来客と打ち合わせ、急ぎの書類を通しただけで午前中は終わってしまった。
 次の作戦の資料を読みながら昼食を取る。
 午後になると、出張の間に動きのあった案件や、新たな依頼の条件についての相談が持ち込まれた。
 学園長が長期不在にしている今は、俺にかなりの権限が下りてきている。
 特に、各国の軍の利害が絡む案件の判断は難しかったが、考え抜いて方針を出した。
 その合間、例の年少組からのカップケーキ贈呈も無事に終わった。
 目がチカチカするほどデコラティブなカップケーキは、今は棚の上に飾られている。
 写真は撮った。あとは味見をしてコメントするように指令が下されているが、まあ、「美味しかった」でいいんだろう。
 朝はそびえたっていた書類の山も、目に見えて嵩が減って来た。
 これなら今夜は、それほど遅くない時間に帰れるかもしれない。


 夕方からは定例会議だった。
 珍しく深刻な問題はなく、議題は各セクションの今月の進捗や来月の予定など、確認事項ばかりだ。
 療養中のシド学園長が久しぶりに出席し、めでたく職務復帰の日取りを発表したこともあって、会議は和やかな雰囲気のなかで、いつになくスムーズに進行した。
「他に何か、ございますか」
 予定した議事をひととおり済ませて、司会のキスティスが、円卓に着いた一同を見渡す。
 皆の表情から異議なしと見て、キスティスは頷き、会議を締めくくろうとした。
「では、予定より早いですが、これで定例会議を…」
 終了します、と続くはずだった。
 だが、それを遮って突然、場違いなメロディが大音量で鳴り響いた。

 ♪ハッピバースデイトゥーユー、ハッピバースデイトゥーユー、

 それは、ボリュームが大きすぎる、携帯の着信音のように聞こえた。
 けれど、誰も自分の携帯を確認しようとせず、困惑した表情で顔を見合わせている。
 俺も(いったい誰のだ?)とメンバーに視線を巡らせかけて、はっとした。
 音は、俺の胸元から聴こえる。
 答えが閃いた。
「失礼、」

 ♪ハッピバースデイ、ハッピバースデイ、

 ジャケットのポケットから、けたたましい音を立てているスマホを掴みだす。
 私用のスマホは常にマナーモードにしていて、呼び出し音が鳴るはずが無いし、もちろん、こんな着信音じゃない。
 誰かが設定を変えた。
 誰が? 決まってる!
 着信の表示は、案の定「Seifer」だ。
 一刻も早くスマホを黙らせなければと焦るあまり、どのボタンを押せばいいのか、瞬間的に分からなくなる。 

 ♪ハッピバースデイトゥッ

 それでもなんとか、指がスリープボタンを探り当て、高らかに鳴り続けていたメロディはぴたりと止まった。
 これでいいか?
 いや、またかかってくるかもしれない。
 円卓の全員が黙ってこちらを注視している気配をひしひしと感じながら、俺はそのままボタンを押し続け、スマホの息の根を止めた。
 よし。
 とりあえずこれでもう、着信があっても鳴らないはず。
 あとは……最高に居心地の悪いこの場を、さっさと終わらせるしかない。
 俺はスマホをもとどおりに仕舞い、ひとつ咳払いをして、円卓のメンバーに向かって頭を下げた。
「…大変失礼しました。マナーモードにしてあったはずなんですが、確認不足で…」
 そのとき俺の口上を、誰かがのんびりと、しかし力強くさえぎった。
「おお、そうでした、…スコールくん!」
 シド学園長だ。悪い予感しかしない。
「そうですな、今日は、8月23日。スコールくんは、今日が誕生日でしたなぁ!」
「……………………そうです」
 得心した、とばかりにニコニコ頷いている学園長の言葉を、否定するわけにもいかない。
 全身にじっとりと冷や汗が吹き出す。
「いやあ、うっかりしていました。ずいぶん前から妻に頼まれていたのに、プレゼントを忘れてきてしまった」
 参ったな、後でイデアに怒られます、と学園長は頭を掻いた。
「いえ、俺は、決して、そういうつもりではなく…」
「誕生日……。そう、誕生日と言えば、昔はあの石の家で、妻が手作りのケーキを焼いて、みんなでお祝いしましたっけなぁ!」
「は…」
「そうそう、きみが大きく息を吸ってケーキのろうそくを消そうとしたときに、サイファーくんが横から先にさっと吹き消してしまって、掴みあいの大げんかになったこともありましたなぁ。いやあ、懐かしいものです」
「…、それは、覚えていませんが…」
 指揮官として座っている会議室で、幼児の頃の話を披露され、顔から火が出そうだ。
 覚えていませんと口では言ったが、シドの言葉で、俺もその過去の場面を鮮やかに思い出した――そのときのサイファーの、してやったり、という得意満面の笑みも。
 右隣に座っているキスティスが、小さく呻いて顔を伏せた。笑いをこらえているに違いない。
「お騒がせして申し訳なかった、もう大丈夫です」
 早く切り上げたい一心で言い募りながらも、あの馬鹿みたいな着信メロディは、俺が自分で自分のために設定したと思われているのだろうか、と考えると頭がクラクラする。
 断じて違うが、ヘタな申し開きもできない。
 じゃあ誰がやった――となっても困るのだ。
 監視官が監視対象者に(私物とはいえ)自分のスマホの暗証番号を盗まれて、設定を変更されたなんて、とうてい言えるわけが無い。
「いやあ、あのスコールくんが、こんなに立派になって…いや、何やら湿っぽくなってしまいましたな。喜ばしい日に、申し訳ない」
 俺の苦悩も知らず、謎の感動に目を潤ませた学園長が拍手を始めた。
「おめでとう、スコールくん!」
 そうなると、みんな続かないわけにはいかない。ぱちぱちぱち、と円卓に祝福の拍手が広がる。
 勘弁してくれ。たかが誕生日じゃないか。
 しかも、そんなアットホームに祝われるような歳でもないし。
「それじゃ、一言、どうかね」
「いや、俺は、別に本当に、そういうのは…」
「いい機会ですよ。ぜひ、指揮官の今年の抱負でも」
 事務方の幹部まで乗っかってきた。ひどい罰ゲームだ。どうしてこうなる。
 この場の仕切り役のはずのキスティスは、俺が「いい加減助けろ」とテレパシーを送っても頑なに顔を上げず肩を小刻みに震わせており、それ以外の全員が、俺の言葉を待っている。
 幸か不幸か、今日集まったのは旧知のメンバーばかりだ。
 とりわけ作戦部長のシュウは俺の窮地に目を輝かせ、ワクワクと身を乗り出している。
「………それじゃ、本当に、一言だけ」
 不本意極まりないが、そう言わざるを得ない空気だった。
 サイファー、あんた…、覚えてろ。

 * * * * *

「サイファー!!」
「おっ、思ったより早かったな」
 その夜、業務を終えて自室に帰りつくと、サイファーは既に部屋着に着替え、俺のベッドでくつろいでいた。
「あんた、俺のスマホの設定変えただろ!」
「へえ、ちゃんと鳴ったみたいだな。まだ会議中だったか?」
 実に嬉しそうに声を弾ませて訊いてくるのに腹が立つ。
「あんたのせいで、大恥かいたじゃないか!!」
 俺を怒らせたいサイファーに怒鳴っても喜ばせるだけなのは分かっているが、怒鳴らなければおさまらず、俺は大股に詰め寄ると、彼の胸倉を掴んだ。
「お前、朝おめでとうって言ってやっても起きねえから、出先から祝ってやろうかと思ってよ」
 俺が怒りを込めて睨みつけてもサイファーはまったく意に介さず、笑ってベッドから立ち上がると、俺の手をつかんで、やすやすと胸元から外す。
「俺からの着信しかONにしてねえし、そんなに支障なかっただろ?」
「わざわざ会議の時間を狙ってかけてきたくせに、よくも言えるな!」
「お偉方に祝福してもらえたか?」
俺の両手首を掴んだまま、サイファーは緑の目に余裕の笑みをたたえている。
「うるさい。そもそもあんた、俺のスマホの暗証番号を、なんで知ってるんだ!?」
「ま、盗み見だな。お前が押してるときに手元が見えて、あっと思ってよ」
 サイファーは涼しい顔で、さらりと答えた。
 思わず眉間に皺を寄せる。確かに、俺も甘かった。もっと警戒すべきだった。
「”0822”って、お前の誕生日と俺の誕生日の組み合わせだろ?」
 そう改めて指摘されると、言葉に詰まる。
 じわじわと、顔に血が上るのが自分でも分かった。
 そのうち変えるつもりで、安直にばかげた番号を設定した過去の自分を呪ってやりたい。
「そうじゃない。…単に、俺の誕生日の前の日だ」
 俺の苦し紛れの言い訳をサイファーは無論信じず、そうかそうか、と機嫌よく聞き流している。
「とにかく、今度勝手にスマホに触ったら許さないからな!」
 怒鳴り終わってふと気付くと、いつの間にか俺はベッドに座らされている。
 俺の抗議に笑いながら「へーへー」と気の無い返事をするサイファーは、やはりいつの間にかすぐ隣に腰を下ろしている。
 ごつい両手で俺の頬を包み、いかにも愛しそうに目の奥を間近に覗いて、猫でも扱うような手つきで耳の周りを柔らかく撫でてくる。
 情けない話だが、愛情を込めてそうされると、俺の怒りがだんだんうやむやになってくるのを、サイファーは知っている。
 近過ぎる距離に俺が目を反らすと、サイファーの親指が唇を撫でてくる。
 ぎりぎり、触れるか触れないかというほど弱く、下くちびるの薄い皮膚の表面を、サイファーの指の腹が滑る。
 そのかすかな刺激に無意識に感覚が研ぎ澄まされて、耐え切れずに目を閉じればもう、キスされる流れでしかなかった。
 湿った唇が、強く重なってくる。重なった部分の、圧倒的な心地よさと幸福感にクラクラする。
 唇を合わせたまま、俺の手をサイファーが握り込む。
 舌と舌、指と指が深く絡まって、何も考えられなくなる。
 長いキスのあと、黙ってふたりでベッドに入った。
 あんなに腹を立てていたはずなのに、いつもこうして流されてしまうのが悔しい。
 しかも最近分かってきたが、どうやらサイファーはこういうふうに、ちょっと怒っている俺をまるめこんで抱くのが好きなのだ。

 * * * * *

 翌朝は、俺の方が先に目を覚ました。
 いつの間にか、空調の設定温度が激しく下げられていて、肌寒い。
 薄闇でリモコンを探り当てようとして、ずしりと肩にのしかかっている、太い腕をどける。
 まったく、狭くて寝返りもろくに打てない。
 横で寝ている男にそう訴えても、ダブルベッドに変えればいいじゃねえか、なんて恐ろしいことを平然と言ってきて、話にならない。
 指揮官居室のベッドをダブルに変える理由なんて、どうやって総務に説明しろっていうんだ。俺ひとり、寝ている間にそんなに転がるわけないだろう。
 サイファーの枕の向こう側にリモコンを発見し、空調の温度設定を元に戻す。
 犯人は我が物顔で俺のベッドに居座り、乱れたシーツの上で気持ちよさそうに寝息を立てている。
 どちらのものとも分からない、乾いた汗の匂い。
 …どうしてこうなってしまったんだろう。
 当事者のはずの、俺にもよく分からない。
 ただ、こうして同じ部屋に暮らすようになって間もなく、どうもサイファーは俺が好きらしい、それもかなり昔から、と気づいた途端、俺は彼の顔がまともに見られなくなった。
 そんな俺にサイファーは「なんだお前、今頃俺に惚れたのかよ」と笑い、俺が「そうじゃない」と言っても聞かず…あれよあれよといううちに、こんな関係になってしまった。
 遠い昔、俺のバースデイケーキのキャンドルを吹き消したサイファーと、こうして裸で、同じベッドに居る自分がすごく不思議だ。
 ふと、ヘッドボードのそばに無防備に放り出されたサイファーのスマホが目に入った。
 うっかり枕の下にでも入ったら、割れてしまう。
 半身を起こして手を伸ばして取り上げ、サイドテーブルに置こうとして…昨日のいきさつを思い出す。
 彼の端末を、こんなふうに無断で触るのは初めてだ。
 もちろん、中身を見ようと思ったこともなかった、今までは。
 横目で持ち主の様子を確認するが、目を覚ます気配は無い。
 ホームボタンを押すと、見慣れた ○ ○ ○ ○、と暗証番号を尋ねる画面が現れる。
 …サイファーなら、どんなパスワードにするだろうか。
 これは無いだろうな、と思いながら試しにサイファーの誕生日を入力してみる。
 ハズレ。○の群れは横に揺れて、番号を拒否した。
 さすがに 1 2 2 2 は無いよな。
 他は、と思いを巡らせながら、ほとんど無意識の指先が、0 8 2 3 とナンバーを辿った。
 
 ぱっ、と――、見慣れたホーム画面が出た。

(え、…?)
 パスコードと呼ぶにはあまりにあっけなくて、俺はぽかんと液晶パネルに整然と並んだ四角いアイコンを眺めた。
 これで開くなんて、思ってもみなかった。ただ、なんとなく入れてみただけだったのに。
 0823って。
 驚きの後に、そわそわするような気恥ずかしさが湧いてくる。
 いくらなんでも、ストレート過ぎないか?
「…あんた、もうちょっと考えろよ」
 照れくささに思わず寝顔を見下ろして呟くと、寝たふりをしていたらしいサイファーが、器用に片目だけ開けて、にやりと笑った。
 しまった、と反射的に悟った。
 今日に限って、ベッドの上にスマホが投げ出されていたのは、
(わざとか)
 サイファーは、俺が彼のスマホに自分の誕生日を入れてみる、という自惚れた行動を取るところが見たかったのだ。
 気づいたが遅い。
「おい、もう解けたのか? スコール、お前天才だな」
 しらじらしく驚いてみせるニヤケ顔がむかつく。
「あんたはほんとにヤなヤツだな!」
 まんまと思惑にハマった悔しさに任せて立ち上がろうとする腕をぐっとひかれて、ベッドに引き戻される。
「まったくだ。お前、俺のどこが良いんだ? なあ、教えてくれよ」
 くすくす笑いながら、俺の尾てい骨あたりを自信たっぷりに撫でてくる手をはたきのける。
 意地悪そうな目の輝きは、俺のケーキのキャンドルを横から吹き消した昔と、何も変わっていない。
「離せ。もう起きる」
「まだ早いだろ。もうちょっと寝てろよ」
「…」
 確かに、まだ眠気が頭に残っている。それに、…腰がだるい。
 はだけてしまっていた上掛けをサイファーが引いて、俺を抱き込み、冷えた肩を包む。
 その暖かさに負けて、俺は起きる気を失くしてしまう。こういう態度が、サイファーをつけ上がらせると分かっているのに。
「……いつから、あの番号なんだ」
「そんなの、初めっからそうだぜ」
「あんた、ばかじゃないのか」
 呆れて目を閉じると、両方の瞼にひとつずつキスされる。
 初めっからそう、か。
 いったいこれまでに何回、サイファーはあのナンバーを指で押したんだろう。
 あの日の小さなサイファーもほんとうは、…小さな俺を好きだったんだろうか?
「お前、…笑ってるのか?」
「さあな」
 上掛けのなかで横たえた身体の位置を直しながら、唐突に、そうだ、仕返ししてやろう、と思いついた。
 サプライズなんて俺の流儀じゃないからと、いつもイベントにはごく常識的なプレゼントしか用意してこなかったが、毎回サイファーだけに面白がらせておくのは、もったいないんじゃないのか?
 たまにはこちらから、思い切り驚かせてやるのも悪くない。
 四ヶ月後、次のサイファーの誕生日は、どんなふうに祝ってやろうか。
 イベントに興味のなかった俺が奇襲を仕掛けてくるとは、よもやあんたは思うまい。
「なあ、何笑ってんだよ?」
「教えない」
「ああ? 」
 俺の返事にサイファーが苛ついて、軽く耳を引っ張って来るが、少しぐらい秘密があってもいいだろう。
 誰かの誕生日が来るのがこんなに楽しみなのは、もしかして…生まれて初めてかもしれない。 


 END

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