赤い月│麻木りょう 様

「…何時だと思ってんだよ、今」
「うーん…わからない」
「8時だぞ、8時。始まったの…6時がイイとこだろ?たった2時間でどんだけ飲んだんだよ?」

既にシャッターが閉まった洋菓子店の前に座り込むスコールをサイファーが見つけたのは、それよりもっと前だ。顔を赤くするでもない、普段となんら変わらない飄々とした彼の腕を掴んで立たせてみれば、『地面が揺れている!』だのと言い出す始末で…これは酔い潰れているのだと知ったサイファーはすぐに強制送還を決めたのだ。

「さあな、…わからない」
「ったく…チキンのウソつきめ!おまえが話があるだなんて電話してくるからオレは、補習抜け出して来たってのに」
「そんなコト知らない」

つまりスコールはその処遇に困った仲間たちに捨てられたのだ。人望厚い彼がそんな仕打ちを受けるとは非常に珍しいことだが…皆それぞれに薄々気付いている関係性を考えれば彼らがそうしたことにも頷けるし、サイファーにとって迷惑なことでもなかった。

「ああそうだろうな、オレは体よく酔っ払いを押し付けられってワケだ。騙された奴が馬鹿だって言いてえんだろ。ふざけるなっての」

だからと言って、これはそのレベルを超えているとサイファーが知ったのは間もなくのことだ。ひとりでは歩けないスコールを背負って歩き出すと、彼はすぐに大声を出して暴れ出した。『うるさい、黙れ』と言うと今度はひどく落ち込んでひと言も喋らなくなる。

「うるさいぞ。…あんた」
「コレが黙ってられるかっての。愚痴ぐらい言わせろ」

それはそれで心配になって話し掛けてみれば、いつものごとく感情の薄い言葉が返ってくるのだ。自分だって本当は一緒に酒を飲みたかった、楽しい時間を一緒に過ごしたかった。そんなコトを言える訳もなく…痺れを切らした感情はそれでも、今夜のところは愚痴と嫌味くらいで収まっている。

「………暑い。離れろ」
「おまえが呑みすぎて歩いて帰れねえから背負ってるんだろうが。勝手なことばかり言いやがって」
「暑い!」
「危ない!暴れるなって!この…バカ野郎」

本当に理解が難しい相手だ。出来ることなら放り出して一人で帰りたいところだが…それも惚れた相手となれば話は別だ。サイファーはやるせなさを溜息に変えたのだった。



「ったく。これで満足かよ?」
「…寒い」
「は?」

町外れの公園に立ち寄ってサイファーはスコールをベンチに座らせた。季節が変わっても着込んでいる厚手のジャケットを脱がせて傍に置いた。相変わらず酔いは醒めていないようで、上半身がふらふらと揺れている。時折ぐらりと大きく揺れる体を支えてやると、大きなお世話だとばかりに手を払われる。『まったく』と溜息を零せば、羞恥を隠すように顔を背けたりもして、サイファーは今一歩踏み込めない心を持て余していた。そんなときに、今度はこんなことを言い出した。

「誰だ、俺を凍死させようとしている奴は!あんたか、サイファー!」
「おまえが暑いって言ったからジャケット脱がせたんだろうが!!あーヤダ、なんだこのメンドクサイ生き物は!」
「うるさい!任務は最後まで遂行するのがSeeDの務めだっ!」

普段はSeeD指揮官を務めているスコールだからか、上官口調でサイファーを叱り付ける。だが、業務以外でこんな口調になることは非常に珍しく、恐らくは…照れ隠しでしかやらないことだろうと彼は思う。

「これは任務じゃねえし。っていうかさ、おまえ…なんでこんなになるまで飲んだんだよ?」

酔いは醒めていないようで、醒めている。サイファーはスコールの言動にそう感じていた。

「………」
「…ナニ隠してんだよ、スコール」
「………ゲームに負けた」
「は?ゲームだと?…カードゲームか」

仲間同士、ただ好きな酒と好きなハナシで場が進むこともあるが、それぞれが酔ってくるとゲームで盛り上がることもある。負ければ罰ゲームと称して多量の酒を飲まされることになり、意に反して度を越してしまうのだ。

「違う」
「だろうな。アレでおまえが負けるなんざ、考えられねえ。だとしたら…よし、あいつらにどんなゲームだったのか聞いとかねえとな。おまえの弱点突くようなヤツだったんだろ?」

負けず嫌いの彼のことだ、負けたままでは終われない…苦手なルールのゲームだったとしても、そうスコールが考え挑み続けたことは容易に想像出来る。

「うるさいっ!うるさいっ!!」
「そんなに負けたことが悔しいのかよ。…しょうがねえな。今度相手してやるから、対策を考えろ。それでいいだろ?」

ガンブレードに限らず、2人はそうして腕を競い合ってきた。何事においてもライバルとして互いに傍に置いて来た。

「イラナイ」
「可愛くねえの」

子供の頃からずっとあったそんな環境の中で、たくさんの感情が生まれ、互いの存在に助けられたこともあった。互いをなくてはならないものと想う気持ちが、心を癒し潤すものに似ていると気付いたとしても決して不思議ではないだろう。だが、2人は互いにそれを隠してきた。変化がバランスを崩し喪失に繋がることをスコールは恐れ、サイファーはそんな彼の心の内を理解していたからだった。



「やっぱり…暑い」
「だから…おまえは。じゃあ肩から掛けとけよ。ほら、…いい加減、帰るぞ」

スコールは感情を言葉にするのが苦手だ。深読みして、面倒な結果を避けるために押し黙ってしまう。そのクセは望みを叶えたい時にはひどく不器用で、もどかしく思える。もしかしたら話したいことは他にもあったのかもしれないけれど、一度にと欲張れば逆効果なこともサイファーは良く知っている。

「早くしろ」
「はいはいってな。おまえ、覚えとけよ?オレ様にこんなことさせやがって。…あ、月が…」

再びスコールを背負って歩き出したサイファーは草原の向こうに目をやった。雲間から変わった色の月が見えたからだ。

「月が?」
「赤い」
「月の涙か!モンスターが来るぞ、サイファー!!」
「違うって!こら!暴れるな!!」

確かに、月の涙が落ちてくる時もそれは赤くなった。けれどそれとこれは違うだろう。少し前にそんな現象があると聞いたコトがあった。確か図書室でゼルが図書委員の女子と話しているのをからかった時のことだ。月と言えば月の涙…すぐさまそれを思い浮かべてしまうスコールにサイファーは笑う。

「違うのか」
「ああ」
「ツマラナイ」
「すげーな。ホントに赤く見える」

普段は黄金色に輝く月が、今夜は赤黒く見える。輝くというよりも吸い込まれそうな闇を思い出す色だ。ロマンティックな言い伝えとはかけ離れたそれを見て、どうして?とサイファーが考えているとスコールが物騒なことを言い出した。

「モンスターの血か、モンスターの纏う炎だ、きっと」
「違うだろ」
「じゃあ何であんなに赤い?」
「夏の月、特有の現象なんだって。理由は…なんだったっけな?詳しいことはチキンに聞いてくれ」
「そんなコトもわからないのか!」

すぐさま戦いに役立ちそうな知識ではなかったのだろう…聞いたけれど忘れてしまった。覚えているのはそれに纏わる言い伝えのほうだけだ。それを隠したにもかかわらず、サイファーは負ぶったスコールに頭を叩かれる。

「おまえだって知らないくせに。…痛てえ!って叩くな!…ったく。オレの専門はロマンティックのほうだっての!天文学なんぞ知るか!!」
「じゃあ、ロマンティックについて答えろ」

きっと“知らない”で済ますことが負けず嫌いな彼は癪に障ったのだろう。またも上官口調でスコールが大きな声を上げる。酔っている分、感情に素直なスコールは面白い…とは思うが、コレに限っては話題がマズイ方向にある。

「はあ?」
「答えろ!」
「…マジかよ」
「早く」

答えなければ、いつまでもスコールは暴れ続けるに違いない。サイファーは何でこんな時に…と思いながら歩みを止めた。少しの間、風に流される雲に隠れていた月がまた姿を見せた。サイファーはそれを見ながらふうと息を吐く。出来ることなら、彼の酔いをその雲とともに吹き飛ばしてくれと願いながら。

「赤い月を2人で見ると、両思いになるんだってよ」
「クダラナイ」
「おい!くだらないってな…じゃあ、聞くな!!…しかし…なんでこんなトコで見てんだろうな、オレは。もっとロマンティックな場所で見たかったぜ」
「………」

話題潰しの即答に負けじと返してみたが、この話題でスコールを追い込むにはまだ早いし、状況も不利だ。無言のスコールにサイファーは溜息を零したが、かといってまったく勝ち目のない戦いでもない…むしろ布石を打つべき場面であると思う。

「まあ…相手に不足はねえんだけどさ」
「………」
「おい」
「………」

考えに考え、言葉を決めたサイファーだったが、相変わらずスコールから返事はない。その上規則正しい寝息にも似たそれが聞こえてきた。“こんな時”に、“如何にも”な演技をするスコールに、サイファーは先ほどより大きな溜息を吐いた。

「寝た振りするなって」
「聞こえなかった」
「はずねえだろ!ったくおまえは…いつもそうはぐらかしやがって!!」
「ナニモキコエナイ」

問い詰めても今度はロボット調のそれに変わる。2人きりの、こんな場面だとしても胸の内を言葉にはしてくれなさそうだが、こちらの要望はきっと伝わるはずだと彼は思う。

「まあ、いいさ。その代わり、よーく見とけよ?あの、赤い月」

幼馴染であり、クラスメイトであり、ライバルであり…他の誰でもなく、スコールを傍に置いておきたい。この先もずっと、願わくば自分をただひとりの相手だと思って欲しい。サイファーがそう思いながら月を見ていると、背でスコールが上半身を起こしたのが分かった。ついには静かに怒りが爆発して『下ろせ』と言われるのだろうかと言葉を待っていると、思いもしないそれが降って来た。

「………見なくても、イイ。俺の相手が出来るのは、永遠にあんたしかいないんだから」

思わず『え?』と振り返り、サイファーは月に照らされるスコールの横顔を見た。いくら月が赤く見えるからと言って、夕焼けとは違う。その頬が同じ色をしているのは心にある羞恥を隠しているからに違いない。

「…ったく、なんだよイキナリ!ちょっ…今のもう一回…」
「スコールハ、ネテシマッタ」

赤い月はまた流れてきた雲に隠れ、“その時”は一瞬で消えてしまった。深く追ってももう、今以上の言葉で心を表してくれることはないだろう。だが、ぱたりと体を自分の背に預けた彼からは少し早めの鼓動が感じられる。普段隠している分、それが言葉になると想像以上の威力を発揮するのだ…互いに。サイファーは手のひらにかいた汗をズボンで拭う。

「頬が赤いのは気のせいってことにしてやる」

自分のことは棚に上げ、彼はそう呟いて嬉しさを返したのだった。


fin.

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