LIVING DEAD LIVING | 彦坂様 | |
「今まで世話になったな、スコール」 出頭命令の出た日にサイファーはそう言って、俺の腕を引き、出し抜けに唇を重ねた。 そして呆然とする俺を置いて、「じゃあな」と笑って部屋を出て行った。 その後は、シナリオ通りだった。 サイファー・アルマシーは護送中に逃亡し、エスタ兵に7発撃たれて死んだ。 安置所の遺体は頭部が大きく破損し、見る影も無かった。 確認に呼ばれた俺は、それが誰かも知らないまま、サイファー本人で間違いないと思う、と証言した。 それから12年経った。 * * * * * 「よう、久しぶりだな」 会談を終えて控え室に戻ると、サイファーだった男が到着していて、俺に軽く手を挙げた。 「…元気そうで何よりだ」 「お前、その棒読み、もうちょっとなんとかなんねーのかよ」 フレーム越しに男は苦笑し、吸っていた煙草を灰皿で揉み消す。 形だけ羽織っていたヴェールのような国民服を脱ぐと、その下はいかにも高級そうなスーツ姿。 保守的なこの国の上流階級も、以前のようにローブをずるずる引きずって歩く人間は減り、こういった略装が多くなった。 華やかなネクタイに整えられた髭、手首にはクラシカルな腕時計…どう見ても金持ちの道楽者だ。 その額にもう、あの傷跡は無い。 「時間を取らせて済まないな」 俺は丸テーブルを挟んだ、向かいの椅子に腰を下ろした。 エスタ軍幹部との会談は、表向きの用事だ。 秘密裏に引き取ってもらった男との対面を申し入れたのは、これが初めてだった。 エスタ側も驚いたようだが、事件のことで話を聞きたいと伝えると、折り返し承諾の返事が来た。 それにしても、こんなにすぐに対面が叶うとは思わなかったが… 度は入っていないのだろう、男はブラウンのレンズの嵌ったウェリントンを外す。 「忙しいのはお前の方だろ。どっちみち、今日はマーケットも開いてねーしな」 カラーレンズの下から、グリーンの瞳が現れて、俺を見た。 (ああ、…サイファーだ) 挑発的に光るその両目は、確かにサイファーだ。 変わったけれど、変わっていない…俺は胸に湧き上がる複雑な感慨を抑えて、「そうか」とだけ答えた。 あの戦争のさなか、ひとりのエージェントが任務で命を落とした。 表の仕事はトレーダー、顔はあまり知られておらず天涯孤独、年齢は5歳も上だったが、サイファーはその男の身分をそっくり乗っ取った形で、現在も密かにエスタ政府に仕えている。 無論、当時の大統領、ラグナの裁量によるものだ。 知らない人間に成り変わり、もう二度と会うことはないと思っていたサイファーが、こうして手を伸ばせば触れられるほど近くに座っている…実に奇妙な気分だった。 俺は感傷を意識から追い払って、本題を切り出す。 「おおかた察しはついてるだろうが、例のドールの殺人の件だ」 4日前の朝、ドールの街外れに建つビルの地下フロアで、左胸にナイフの刺さった死体が発見された。 現場の壁には、古風な血文字のメッセージが残されていた…ご丁寧に、魔女の騎士の署名入りで。 「『魔女復活の日を待て』、か。今さらだよなぁ」 サイファーが頭の後ろで手を組み、のけぞってニヤリと笑うと、以前は無かった笑い皺が目尻に刻まれる。 それだけの月日が、別々に流れた。そう、まったくもって今さらだ。 「どう思う?」 俺の漠然とした問いかけに、サイファーはわざとらしく眉を吊り上げる。 「どうもこうも。そっちだって、ある程度アタリはつけてんだろ?」 被害者の身元はすぐに割れた。 50代後半のガ軍の退役軍人で、ドール在住。 独身で、背が高く非常に痩せていて、…魔女を敵視する地下組織のリーダーだった。 「俺もあの戦争当時の、全てを知ってるわけじゃない。あんたの見解を聞きたい」 サイファーは椅子の上でゆっくりと脚を組み替え、見透かすような視線を俺に向けた。 「俺はまた、『あんな茶番に煽られて余計なことすんな』って、牽制に来たのかと思ったぜ」 半ば言いあてられて、俺は顔をしかめる。 センセーショナルな報道に、かつてのサイファーのスタンドプレーを考え合わせれば、嫌でも次の展開が不安になる。 ついさっきまで、俺の中のサイファーは、10代の無鉄砲な候補生だった。 「…正直それもあるが、意見も聞かせてくれ」 見抜かれた気まずさを咳払いで誤魔化し、発言を促す。 「そうだな…。普通に考えりゃ、まずは今いる魔女の安全確保だな」 「念のため、リノアの警護は増やしてもらった。今のところ、不審な気配は無い」 「あいつ、まだ看板下ろす気ねーのか? もう魔力ねえんだろ?」 「…決意は固い。止めても無駄だ」 リノアに引き継がれたあの魔女の力は、戦争が終わった時点で消えた。 だが、リノアは魔女として生きることを選択し、事実を伏せて、森のフクロウの元メンバーを騎士に任命した。 もう誰も、あんなさびしい魔女にしたくないの、と彼女は言った。 そんな話が通るものか、と俺やキスティスは反対した。 にも関わらず、世間は彼女を変わらず魔女だと信じて疑わなかった。驚くほど疑わなかった。 監視のついた不自由な生活のなかで、リノアは変わらず明るく朗らかな魔女像を発信し続けている…。 (魔女は怖くない、だから恐れないで、ひとりにしないであげてって、伝えたいの) かつて子どもだった頃、周りの大人は俺たちに嘘ばかりついていたが、今となっては、俺たちだって嘘ばかりだ。 「ま、あの戦争のことも、世間にゃ上っ面しか説明してねえし、そんな本質を突いた展開になるかは疑問だな」 世間どころか、俺ですら、サイファーがあの戦争をどう解釈しているのかいまだに知らない。 12年前のサイファーは、俺が何度尋ねても「お前の考えてる話と大体一緒だろ。本当のところは、どうせ俺にも分からねえ」としか答えなかった。 もし今訊けば別の答えが返ってくるのか…目の前のサイファーは思案を巡らせながら、短い顎髭を軽く撫でた。 「次に、あれがリノアと関係ない予告なら、このあと誰かが魔女役を担ぎ出す。復活って言ってるからには、魔女はアルティミシアだな」 「偽物か」 「そりゃそーだろ。もし本人を招待する気がありゃ、あんな前座は逆に邪魔だ」 「…で、偽の魔女が登場したとしてどうなる」 「権威に乗っかって何らかの目的を叶えるか、逆に暴虐に振る舞わせて、魔女との融和策をとってきた奴らを蹴落とすか…」 そこで一区切りつけるように、サイファーは頬杖をついた。 「だけどよ、俺は…これはそんな大掛かりな話じゃねえ気がする。そう思わねえか?」 「理由は?」 「あの現場で、一番目立ってたのは俺の署名だろ。しかも、これ見よがしに画像がネットに流れてやがる」 「流出経路は未だ不明だ。犯人…つまりあんたが生きてて、自分で流したって噂もあるな」 「あれが本当に前座なら、本番に俺の偽物まで立てなきゃなんねえ。そんな無駄な事する必要がどこにある? 本来俺は脇役だ。いくらでも挿げ替えが効く。誰かが騎士役をやりてえんなら、そいつが勝手にやればいい。…つまり、あれは前座じゃねえ」 (…やっぱり、そっちなのか) 思わず、長いため息をついた。 その可能性は、もちろん考えた。 だが、サイファー本人なら、もっと違う意見があるかもしれない…俺は、そう考えたかっただけなのか。 「二度と会うこともない」などと悟った顔をしておきながら、口実が出来た途端に飛びついたようで、自己嫌悪で心が沈んだ。 「…あれは、あんた宛てってことか」 「俺はそう思ったな」 派手に騒ぎ立てれば、何処かに隠れている本人がキレて、『あれは偽物だ』と表明するかもしれない。 そうでなくても、世間がサイファー・アルマシーのことを思い出して、何か情報が出てくるかもしれない… 「犯人は…あんたがが生きているかどうかを知りたかった。そういうことか?」 そうだとすれば、こうして死人に会うというのは極めて間違った行動だ。 「生きててくれたら嬉しい、みたいな可愛いファンじゃねーのは確実だけどな」 恨んでるヤツほどあきらめきれないらしいな、とサイファーは笑って、「んでお前、次どうする?」と楽しげな視線を投げて来る。 「そうなると、犯人は魔女に敵対する人物かもな。…検死した医者か、男のかかりつけの医者を調べる」 死んだ男はひどく痩せていた。 このところ顔色が悪かったという情報もあって、そもそも殺人かどうかが疑わしくなってくる。 「この時点で医者から情報ねえんだろ? どっちもだんまりかもしんねーぜ。俺なら、すぐさま墓を掘る」 「正気か? ドール政府からの依頼だぞ?」 ぎょっとして訊き返すが、サイファーは平然と言い放つ。 「俺の名前にビビって、B.G.なんかに頼むほうが悪い」 「…キスティスが嫌がるな」 真面目な彼女のリアクションを想像するだけで気が滅入る。 「頑張って説得するんだな。…お前、この後の予定は?」 「この後、セントラに寄ってイデアに会ってから、いったんバラムに帰る」 「尾行を警戒してんのか? そんな小細工いいから、真っ直ぐドールに行って棺桶開けちまえよ」 「…証拠、出ると思うか?」 俺が迷って、発言の真意を読もうと表情を見やると、ふざけた調子の合間に、サイファーはふと真顔になった。 「出るといいよな。この読みがハズレで、正真正銘の殺人だとすりゃ、この事件は継続する可能性もある。組織の他のメンバーがやられるかもな」 「あんたが表に出て来るまで、ってことか。…分かった、いずれにしろ、被害者をもう一度調べ直す」 方針は決まった。 長居は無用だ、と腰を浮かしかけると、サイファーは悪ガキに戻ったような顔つきでニヤニヤ笑って、俺の顔を覗き込んで来た。 「墓開けるのが怖いってんなら、俺も一緒に行ってやろうか?」 「連れてくわけないだろ。バカかあんた」 気安い口調に引きずられ、つい同じ調子で返してしまい、サイファーが驚いて目を見開く。 ぶつかった視線のなかに、時間が巻き戻される錯覚を共感し、しまった、と目を反らした。 「わかった。参考になった。臨時の連絡用だ。この件が解決するまでの間、持っていてくれ」 俺は眉をしかめ、胸ポケットから使い捨ての携帯端末を取り出し、テーブルに置く。 「なあ、待てよ、スコール」 立ち上がる俺を追ってサイファーも立ち上がる、 呼びかけて来る声は不気味なほどに優しく、明らかにさっきまでと違う場の空気に、寒くも無いのに鳥肌が立つ。 「せっかく久しぶりに死人に会ったってのに、…聞きたいことはそれだけか?」 一歩ずつ距離を詰めて来るサイファーから、強烈な引力を感じる。 「…説明する気ないんだろ?」 「さあな。お前次第だ」 拒むなら拒むべきだ、今すぐ。 そう頭では分かっているが、出来なかった。 俺が今ここにいるのは、何をどう言い訳しようと、自分の意志によるものだ。 「俺はあんたの墓を今さら暴く気はない。死者に説明を求めても無駄だ」 目を伏せて言い捨てると、サイファーは「冷てえな」と掠れた笑い声を立てた。 「代わりに、俺も、説明しない」 そう言って俺は出し抜けにサイファーの手を引き、まだ新しい煙草の香りのする唇に、自分から唇を寄せた。 「…!」 不意を突かれたサイファーが息を飲んだ。 たとえ嫌でもかまうものか、と俺は目を閉じる。ひどく愉快だった。 髭のある人間とキスするのは初めてで、その妙な感触も可笑しかったが、すぐに強く抱き締められて、面白がるような余裕はたちまち消えてしまった。 自分よりも大きな身体に抱き込まれる、その馴染みの無い温かさに、安堵と不安が混ざり合う。 会ってしまえば、お互いに変わった姿を目にして、過去を過去に出来るかもしれない…そんな期待も危惧も裏切り、サイファーはなんの迷いもなく、強く唇を押しつけてくる。 こうしているのが信じられないような気も、こうなることが初めから分かっていたような気もして、子どもじみた心細さに襲われる。 好きだと言ったこともなければ、言われたこともない。 あの12年前の別れ際に、前置きも無く、一度キスしただけだ。 こんなことにどんな意味があるのか、俺には分からない。 何も変わらないし、何も生まれない…だが、あとどれぐらいこうしていていいだろう、と頭の隅で残り時間を計算しかける自分に気づき、俺は首を振ってキスを外した。 「スコール」 「時間だ」 呼ぶ声を遮り、ほとんど自分に向けて告げた。 「サイファー、殺されるなよ」 この一言を言いに来たようなものだ。 俺はようやく、サイファーを正面から真っ直ぐに見た。 「あんたはもう死んでる。もう一度殺されるなんて間抜けな結末は聞きたくない」 「…へいへい」 サイファーのくしゃり、と歪んだ笑顔は、きっとこっちが酷い顔をしているせいだろう。 俺がドアに向かおうとすると、ふと思いついたようにサイファーが口を開いた。 「そうだ、これは亡霊の戯言だけどよ…共犯は、若いヤツじゃねえかって気がする。当時、まだガキだったぐらいの」 「…子ども?」 「もしかすると、髪がブラウンで、…ブルーアイズかも」 額に手のひらを当てて、記憶を探るように付け加えた。なにか心当たりがあるのだろう。 「…覚えとく。あんた、自分の吸い殻持って帰れよ」 「細けーな!」 「声が大きい。じゃあな、捜査が終わったら連絡する」 小言にわざとらしい渋面を作ってひらひらと手を振るサイファーを控室に残して、俺は廊下に出た。 軽い音を立てて扉が閉まる。 廊下の端に控えていたSPふたりが、ちらりと時計を見るのが気まずい。 文字盤を見なくても知っている…きっかり10分のつもりが、1分30秒もオーバーした。 「…待たせて済まなかった」 「いえ、それでは空港までお送りします」 心得た様子で彼らは頷き、当然に何も尋ねない。 俺は会談の後、誰とも会っていなかったことになった。 いかにもエスタらしいホバー機で市街地を移動しながら、空港からの行き先を変更し、まっすぐバラムへ帰ることにした。 まずはキスティスと相談だ…サイファーの提案は乱暴だが、もし実行するなら急いだ方がいい。 会談相手だった彼の上司が、「彼はとにかく仕事が早くてね」と困ったような笑顔を見せたことを思い出す。 エスタを離れ、専用機のなかで通信を済ませ、やっと息をついた。 窓から見下ろせば、雲の隙間に、遠ざかってゆくエスタの街が見える。 ひとりになって頭が緩み、唇が重なっていたあの一秒ずつに値段をつけたらいくらだろう、と解のない問いが浮かぶ。 胸の奥で、開いた傷口が鮮烈に痛んだ。 何年もかけて癒えたはずの古傷を、わざわざ掘り返しに行った自分が呪わしい。 あの現場の偽装をした人間はどうなんだろう、とぼんやりと思いを馳せた。 12年も経てば、何もかも忘れられそうなものなのに。 未だ囚われているらしいその誰かが、少し気の毒な気もした。 こういうのを正しく同情と呼ぶんだろうな、そう思うと、少しだけ笑えた。 * * * * * それから5日かけて、事件は解決した。 棺桶を開けて遺体を分析すると、ステージの進んだ病巣が見つかった。 すぐに検死をした医者を確保し、事情を吐かせた。 余計な飾りをとっぱらってしまえばほぼ見立て通り、本人が浅く切った傷から出た血で壁に文字を書き、手を洗い、それから血管を切って自殺、その後に協力者が来て胸にナイフを刺すなどの細工を施した、というシンプルな筋書きだった。 死亡推定時刻のアリバイに意味が無くなり、協力者もあっさりと割れた。 サイファーが示唆したとおり未成年者で、ガルバディアガーデンの男子生徒だった。 医者を捕まえた時点でガーデンから逃亡したが、組織の人間に接触しようとしたところを発見し、拘束した。 予言は当たった。生徒はブラウンの髪に、ブルーの目をしていた。 * * * * * 報告書をまとめる段階に入り、俺はエスタに置いて来た端末に、やはり使い捨ての端末から電話を掛けた。 ざっくりと調査結果を伝えると、サイファーは「そうか」と言ってしばらく黙った後、残った疑問について尋ねて来た。 「…それで、相手はどうやって俺の居場所を掴む気だったんだ?」 「例の組織のメンバーが、イデアとリノアの動きを張ってたらしい」 検死を行った医者も、遺体にナイフを刺した生徒も、同じ地下組織のメンバーだった。 戦争の記憶が薄れ、魔女のイメージが変わるにつれて、組織もゆるやかに解けていった。 リーダーが居なくなれば、繋がりの弱った組織も一緒に自然消滅する未来が見えていた。 余命を知ったあの被害者役の男は、残りの命をこの芝居に使った。 何処かに隠れ生きている魔女の騎士を刺激して反応を誘い、見つけ出して殺すのが、作戦の表向きの目的だった。 とは言え、実のところ、リーダー自身はもうほとんど魔女への憎しみは忘れていて、復讐心を捨てられないメンバーの居場所をつくるために活動を続けていたらしい。 ガルバディアガーデンの生徒は最年少のメンバーで、傷の癒えない彼の行く末をリーダーの男は案じていた。 あれは一種の儀式だったんです、と医者は語った。 とうとう魔女の騎士が現れずに終わって、サイファー・アルマシーは死んだ、あの子がそう納得し救われることを望んでいたんです、と。 「…そんで、お前はノーマークか。…まあ、それはそうかもな」 仲悪りいしな、俺たち、とサイファーは受話器の向こうで笑い声を立てた。 「あんた、あの子どものことは覚えてたのか」 蒼い目の子どもは12年前、偶然戦場近くに居合わせて崩れたがれきの下敷きになり、金髪の男に引っ張り出された。 その直後、周辺一帯に火が回り、彼が連れていた妹は死んだ。 自分を助けた金髪の男は、ガ軍を指揮した魔女の騎士だと、後で知った。 「いろいろ考えてるうちに、思い出した。余計なことしねえほうがいいとは思ったが、何かとっさに…手を掴んじまったんだよな」 「爆破は魔女がやったんだろ」 「まあ、恨まれてもしょうがねえよな。…妹のほうは、そんときもう首が折れててよ」 沈んだ声で、サイファーは呟く。 「行っちゃいけない場所に連れて行った、だから妹が死んだのは自分のせいでいい。だが、あんたが自分だけを気まぐれに助けたのが許せない、と言ってたな」 「…一緒に死なせてやったほうが、良かったのかもな」 「さあな。いつか絶対にあんたを探し出して殺してやる、と心に決めてたそうだ」 命だけ助けたって、人ひとり助けたことにはならない。 それを教えてやりたかった、と彼は取調室で低く言った。 「殺人罪じゃないから、いずれ出てくるぞ」 「しかも、未成年だしな。すぐだな」 「子どもだからって甘く見るなよ。本当にあいつは死んだのか、って何度も食ってかかられた」 「まだあきらめてねーのかよ」 俺はもちろん、死んだと答えた。 裁きから逃げて撃たれるほど馬鹿だとは思わなかったが、この目で死体を確認した、と苦々しげに断言してみせると、彼は心底失望したようだった。 「出て来るまでに、納得してくれるといいんだがな」 エスタはどこか浮世離れした国だが、情報が入って来ない訳ではない。 今回のようにまた騒ぎを起こされれば、そっとしておくわけにもいかなくなる…。 当然同意が返ってくるものと思ったが、サイファーの感想は俺の予想を裏切った。 「そうか。…そこまで熱烈に恨まれちゃ、会ってやりてえ気もするよな」 (…何だって?) サイファーのその冗談ともつかない言葉に俺は、突然、激しい苛立ちを感じた。 どこから降って湧いたのか、自分でも良く分からない怒りだった。 (…会って、いったいどうするんだ? ナイフの的にでもなってやるのか?) いつだって、あんたはどこか中途半端に甘いんだ。 悪ぶって大口を叩き、山ほど恨みを買っておきながら、いつも最後は情けを掛けるから、こうなるんじゃないか。 「………おい、どうかしたか?」 不穏な沈黙に何かを察して、サイファーは怪訝そうに尋ねるが、 「あんたなんか、勝手に殺されろ」 捨て台詞を吐いて俺は電話を切り、切ってしまってから、そんな自分に驚いた。 これが良い大人のすることか? まるっきり子どものやり方じゃないか。俺は一体どうしてしまったんだ。 …サイファーのせいだ、と決めたところで電話が鳴った。 「…なんだ」 「悪かった。死なねえよ」 どうせ意思疎通なんか不可能だ、と開き直って不機嫌な声のまま応じたのに、通じている返事が来て、ずきりと胸が痛んだ。 俺が黙っていると、サイファーは静かな声で続けた。 「確かに可哀想なことしちまったとは思うけどよ、殺されてやったりしねえから、安心しろ」 (安心しろ、か) あんたは他人が思うより、案外騎士に向いている。 命だけ助けたって、人ひとり助けたことにはならないことぐらい、今は俺にだって痛いほど分かっている。 サイファーはこの先も、別人の名を騙って、エスタ政府のために働き続けるだろう。 この先の世界に、なにひとつ自分の名のもとに遺すこともない… だけど、あのときあんたを喪わないために、他にどんな道があった? 戦争直後、一度魔女を熱狂的に迎え入れたガルバディアの民衆の反動は凄まじく、消えたアルティミシアへの怒りはそのまま、魔女の騎士だったサイファーに向けられた。 ガーデンの駒ひとつで大国の傷が癒えるなら、当のガルバディアはもちろん、他国にも損はない。 未成年という免罪符だけで止められる流れではなく、裁判に掛けられれば、有無を言わさず有罪になることは明白だった。 他に打つ手もなく、窮地の俺が頼ったのは、ほとんど他人のような父親だった。 ラグナは持ち前の鷹揚さで、俺の無茶な願いを聞き入れた。 護送の任に当たったエスタ兵はあらかじめ用意した死体にサイファーの服を着せ、サイファーはエスタの軍服を着て、山中で護送車から下ろした「自分の」死体を撃った。 疑惑の目を避けるため、ラグナと俺の血縁関係は、今日まで公表されていない。 いま思えば、ただの俺のわがままだった。 だけどそのわがままの結果として、回線の向こう側にサイファーはこうして生きていて、俺の望みを知っている。 「…この電話はもう使うな」 この返事は、「安心した」ことになるのだろうか。 「りょーかい。処分しとくぜ」 らしくもない物分かりのよさに、ひどく甘やかされている気がして眩暈がする。 「それじゃ、切るぞ」 別れを意識する前に、話を終わらせたかったが、サイファーの声が割って入る。 「おい待て。お前、次はもうちょっと早く会いに来いよ。いくらなんでも12年はねえだろ」 「…次は無い。切るぞ」 「待てって。なあ、来いよ。すぐは無理でも、そうだ、今度は土産ぐらい持って」 「…切るからな」 やめてくれ、そう念じながら話を切ろうとするが、サイファーの声が俺を呼ぶ。 「スコール、」 「…なあ、お前…大丈夫か?」 ずっとずっと以前、実戦前に「怖いか?」と訊かれた記憶がふいに甦り、胸がぐっと熱くなった。 あれは確か、ドールの市街戦に向かうときだ。 どうして俺にばかり執拗にかまうのか、あの頃の俺は、サイファーを鬱陶しいと思っていた。 のどの奥が狭まって苦しく、声の出し方が分からない。 あんたは何も変わっていない。 そうやって不意打ちで素顔を見せて来て、その度に俺は思い知らされる。 「…大丈夫だ。あんたも元気で。…じゃあな」 どうにか返事を絞り出し、俺はやっと通話を切った。 いつだって身勝手で理不尽で面倒で、けれど、あんたが居ないことがこんなにもつまらないなんて思わなかった。 溢れそうになる感情を涙にはしたくなく、俺は口の中で奥歯を強く噛み合わせ、波に耐える。 今さら好きとか嫌いとか、そんな言葉で説明出来ない。 初めて出会ったあの孤児院の庭から、信じられないほど遠くまで生きてきたものだと思うが、 俺にとってのあんたは、今も昔もただ「サイファー」でしかない。 LIVING DEAD LIVING / END |