寝た犬を起こすな 鷹音 蛍様


 これがもし紙に書かれた物語だったのなら「そして彼らは、その後、末永く幸せに暮らしました」というありきたりな一文を最後に、本のページが尽きるところだ。

 無論、終わった物語に「その後」などというものは存在しない。

 しかし現実においてはそうではない。

 事の大小に関わらず、ひとつの事件・事象が収束したからと云って、その後の連続性が喪われることはない。個人の生の終焉に因ってすら、完全に連続性を喪わせることは容易でないのだ。





 戦後処理の多忙を縫って、彼らがかつて暮らした石の家を訪れるようになった直接の発端は、セルフィの提言がきっかけだった。

 G.Fをジャンクションすることで引き起こされていた記憶障害。
 それはG.Fたちが、己の存在をその場に──宿主の裡に──留めるため、邪魔になるものを少々奥へと追い遣った結果だ。
 その症状は、ジャンクションの時間に比例して深刻かつ深甚なものとなっていた。
 だがそれが判ったからといって、すぐにジャンクションを放棄することなどできない冷ややかな現実が、彼らの目前に立ちはだかってきた。

 しかし、ひとつの大きな流れに一応のひと区切りがつけられた今、問題となるジャンクションを解除できる時間がかつてより増えたことに因り──それでもまだ、完全にG.Fを頼りにせずとも済むまでには至らないのが現実ではあったのだが──、こと記憶障害に関して、事態は大きく好転したといっていい。

 G.Fによる記憶障害は、完全なる欠落や取り返しのつかない欠損などではなく、何がしかのきっかけさえあれば取り戻すことが可能な一時的な忘却に過ぎなかったのだ。
 特定の記憶の抽斗を引くための正しい道筋さえ見つけ出せれば、忘れたことさえ忘れていたような記憶を呼び覚ますことが可能なのだと、彼らは気付くことができた。

 誰かが何かを思い出せば、それに引っ張られるようにして、また他の誰かがそれに関連した何かを思い出すことは、一部、実証済みだった。

 だがこの連鎖が常に巧くいくとは限らない。

 収穫があることもあれば、ないこともある。

 それでも、そのあるかなしかの収穫を得るため、仲間たちは忙殺されがちな日常業務や遠征任務の合間を縫い、記憶の抽斗を引くためのきっかけを求めて、足しげく石の家へと通う日が続いていた。



 戦中から引き続き担わされている“総指揮官”という立場上、他の中枢メンバーたちと較べても、個人的に自由にできる時間が制限されているスコールは、石の家に足を運べる機会もそう多くはなかった。

 それでよかったと、内心でスコールは思っている。

 石の家に通うことで、かつてそこで得てそして喪った記憶の総てをいつか取り戻せる日が来るのか。
 かつて在ったはずのもの、またはそのように思い込んでいるものが、本当に在ったことを証明できるのか。
 それが証明されたからといって、現在の何がどう変わるというのか。

 きっとそれは誰にも判らない。

 仲間たちの期待に水を差す気は毛頭ないので口にこそしなかったが、スコール自身は、この「子どもの頃の思い出を取り戻す」ことに関して、あまり積極的になれないでいた。

 何より、呼び覚まされ、呼び戻される記憶に選択の余地はないのだ。
 忘れていたままの方がよかったと、個人的に思う記憶もなくはないはずだ──特に、自分にとっては。





 べしょべしょと、屋根を、軒を、荒れ放題の庭を叩くというよりは、むしろ執念く濡らす降る雨の音に、ますます陰鬱な気分を募らせて、スコールは大仰に肩を落とす。

 湿気と温気と、何よりも半端に断ち切られた睡眠の余韻で、じくじくと苛むように疼くこめかみが鬱陶しい。

 もう何日ぶりになるか憶えていない全日休を確保し、雨天のおかげで陽が射さないのをいいことに自室で長々と惰眠を貪っていたところにサイファーの襲撃を受け、そのまま石の家まで強制連行されて来たのだ。
 おかげで常態でも結構な仏頂面だというのに、今日はさらに輪をかけて眉間の谷が深い。
 だが、来てしまったものは仕方がない──そもそも、帰るための脚もないのだ。こうなっては諦める以外に道はないだろう。

 不愉快な雨音を聴きながら、ため息を吐き出す。

 改めて森と謐まり返った家の中の見廻すが、視線を幾ら動かしたところで、特に琴線に触れるものが視界に引っかかることはなかった。
 そうして徒に視線を巡らせたおかげで、まったく識らない場所に居るのとはまた違った居心地の悪さを味わうことになった。
 閉口するより何より、背反するふたつの感覚が胃のあたりでぐちゃぐちゃに混じり合っているようで、それが酷く気持ち悪い。


   ──サイファー……どこ行った……?


 ここにきて急に、有無を云わせず自分をこの場所まで連れてきて、直後に姿を晦ました男の不在を強く意識させられた。
 眸を眇めて耳を澄ますが、相変わらず雨音以外には何の音も聴こえてこない。
 雨音のせいで逆に際立つ周囲の謐けさに、不意に全身が冷えるような感覚が押し寄せ、スコールはその正体不明の不安をあおる感覚をふり払うようにまなじりを決すると、総ての元兇たるサイファーの姿を探すためにくびす返した。



 最も深刻な記憶障害を引き起こしているスコールにとって、石の家での思い出はないにも等しいものだった。
 それでも、仲間たちが思い出したかつての記憶に引き摺られて、幾らか思い出したこともあるにはあったが、そのどれもがスコールにとって愉しい思い出といえるようなものではなかった。
 途切れ途切れの記憶の断片を繋ぎ合わせるまでもなく、子ども時代の心愉しくない思い出が愉しかった思い出を遥かに凌駕することを、おぼろげながらに憶えていたのだろう。

 だからこそ、能動的に記憶を掘り起こすことを好しとしなかったのだ。


   ──くそ、サイファー。どこだ。


 ひたひたと身に迫る雨音と冷え冷えとした空気を厭うて、とにかく今のスコールは、具体的な八つ当たりの対象としてのサイファーをひたすら求めていた。

 そうしているうち、ふと、喪った記憶の断片とでも呼ぶべきもの──稚い子どもの声──が、雨音に混じって耳の奥底に蘇ってきたのだった。



 石の家に暮らしていた頃のスコールは、外的世界からの刺激に対して過剰に怯え、とにかく、ありとあらゆるものに対して過敏に反応し、すぐに“おねえちゃん”や“ママせんせい”のスカートの陰に逃げ込むような子どもだった。
 最初からその苛烈な拒絶の対象だった事象もあれば、後天的に刷り込まれたことにより、結果として新たに拒絶の対象となったものもある。

 そのうちのひとつが“いぬ”だ。

 元々、自分よりも、余程、大きな動物に対しては恐怖心を抱いていたのだが、一方、自分よりも小さな動物に対しては特に恐怖心や苦手意識は抱いていなかった──積極的に触れ合うことを好むこともなかったはずだが。
 そんな稚い日のスコールに「“いぬ”はこわいんだぞ!」「あいつら、かむんだからな!」「かまれたら、すごくいたいし、ちだってでる!」と、如何に“いぬ”が恐ろしい存在であるのかを事あるごとにくり返し、刷り込んだのは、誰でもないサイファーだった。

 ただし、当時のサイファーには、別にスコールに意地悪をしようという意図があったわけではないようだ。

 サイファーが口にした“いぬ”に関する数々の脅し文句は、当の本人の実体験に因って獲得した感情や感想だったのだろう。

 記憶障害に因って“いぬ”に対する苦手意識が、本人のあずかり知らぬ間に払拭されていたスコールと違って、サイファーの方は今に至って未だ尾を引いている。ただし現在、サイファーにとって“いぬ”は恐怖の対象ではなく、憎悪の対象になっているようだが。

 サイファーの犬嫌いは、幼少時、石の家にいた頃に端を発していたらしい。
 それは如何にもありがちな、多分に一方的な相手との確執によるものだったと想像されるが、詳細は本人が頑として口を割らないものだから、他の誰も事情をよく識らない──G.Fによる記憶障害が起こっていないアーヴァインあたりなら、ひょっとしたら憶えている可能性もあるが、スコールは特にその部分に興味はないので、所詮はどうでもいいことなのだが。



 真剣な表情で“いぬ”の恐ろしさを説く稚いサイファーの姿が、一瞬、揺らいだかと思うと現在のサイファーの姿へと変化した。

 勿論、それはスコールの錯覚で、実際にその場所で子ども用のベッドに腰を下ろしていたのは最初から現在のサイファーだったのだが。


 それにしても──。


“いぬ”が『こわくてかんでいたい(ちもでる)』のは、あながち嘘ではなかった──というか、大体、真実だったなと、ぼんやりとスコールは思う。


「熱烈だな」


 と、瞬きもせずサイファーを見つめるスコールの姿と視線に気付いて、まるで“狗”のように獰猛な貌で嗤うサイファーの歯を視て──。


fin.





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