リベンジトリガー | 幸弥様 | |
「あの」 この社内で、サイファーにぶっきらぼうに声を掛けるような人間はそうそういない。 さて、どんな野郎かと振り返ると、そこには脚立を背負ったつなぎ姿の青年が立っていた。 「見ない顔だな」 「……ストライフ・クリーニングサービスです。社内清掃に参りました」 テンプレート通りの文句を、やはりぶっきらぼうに読み上げたその青年に、サイファーは眉間の皺を深め、そして「ははは」と声を上げて笑った。 「社内清掃か。そういえば、そんな話を聞いたような気もする。そのクリーニングサービスが何か用か?」 「通りたいだけです」 「なるほど、オフィスの通路のど真ん中を歩くなと言いたいわけだ」 いくらサイファーと言えど、通路のど真ん中を歩いている自覚くらい持ち合わせていた。脚立や清掃用具を持った青年からすれば、大層邪魔だろうことも窺える。 「……失礼します」 その失礼しますという言葉の前に、青年は何か言いたそうにしていたが、結局脚立を持ったまま、サイファーの横を通過しようとした。 そのはずだった。 「サイファー!」 どすどすと賑やかな足音と共に、ガタイの良い青年がジャケットのボタンも閉めずにサイファーに駆け寄ってきたのだ。 そんな青年が、清掃員の持っていた脚立に足をぶつけた。 「あだぁ!」 「ぐっ」 後に駆け寄ってきた女性が肩をすくめ、それから窘めるように「雷神」と呟いた。 雷神がド派手に転んだ反対側では、清掃員の青年もまたしゃがみ込んでいる。その上に、脚立が倒れようとしていた。 「おいおい」 サイファーはそんな脚立を掴み、そして「何を騒いでやがる」と雷神を窘めた。 「だって、大変だったもんよ! また社長の秘書に呼び出されてるんだもんよ!」 「そんなものは無視しておけ。俺様は忙しい」 サイファーが掴んだ脚立のすぐ下で頭を横に振っていた清掃員の前にしゃがみこみ、女性、風神は呟いた。 「無事?」 「……なんなんだ、この会社……」 「何?」 「……朝にも、金髪の男に体当たりされた……」 「ああ! それってもしかして、庶務課のゼルだもんよ」 「なるほど、あのチキン野郎ならありそうな話だ」 「今度は色黒のでかい男か……どうなってるんだ、くそっ」 堂々と悪態を吐く清掃員に、サイファーは溜息まじりにほくそ笑むと、掴んでいた脚立からそっと手を離す。 「危」 そう言いながら、ひらりと身をかわした風神の一方で、清掃員は降ってきた脚立を振り返り、「あ」と間抜けな声を上げた。 気付いた時には既に遅し。がしゃんという音と共に清掃員は床に倒れ込み、脚立の下敷きになってしまった。 「いった……」 「悪いな、手が滑った」 いち早く清掃員の顔を覗き、風神は自分の額を指差しながら言ってやった。 「出血」 清掃員は脚立を起こしながら、もう片方の手で自分の額に触れ、短く声を上げる。 「アンタ、わざと」 「聞こえなかったか? 俺様は今、手が滑ったと言った。完璧な俺らしからぬ失態だが、まぁ、勘弁してくれ」 サイファーは、ひらと背中を翻した。風神と雷神も一応心配そうに清掃員を振り返りながら、サイファーの後に続き歩いて行ってしまった。 「……なんなんだ、この会社……!」 そんな背中を睨み付け、清掃員はずかずかと駆け寄り、サイファーの肩口を掴んで振り返らせた。 「アンタなぁ!」 清掃員の目の前を、つうと血が流れる。風神がもう一度「出血」と呟いたのを聞いて、サイファーは意地の悪い笑みを浮かべたまま、スーツの懐のハンカチを引き抜いた。 「綺麗な顔が台無しだな。そこは素直に詫びておくか。これで止血でもしたらどうだ?」 「き……っ!」 清掃員はサイファーの手からハンカチを奪い取ると、その手を拳に変えて、自分よりも背の高いサイファーになんの躊躇もなく殴り掛かろうとした。 その時だった。 「失礼しました、お客様ー!」 スコーンと気持ちのよい音がホールに響いた。 その音と共に、再び床にしゃがみ込んだ清掃員と同じつなぎ姿の男がその場に現れたのだ。 「失礼しました、お客様! こいつまだ入ったばかりで礼儀とかまったくなってなくって、ハハハ! ほら、スコール。お前も謝れ」 「くっ……どいつも、こいつも……!」 「すいません。こいつ妙なことばかり口から出てしまう性質の悪いクセがありまして。申し遅れました。ストライフ・クリーニングサービス責任者のクラウド=ストライフと申します。今後ともごひいきに」 手早く名刺を差し出したクラウドという男に、サイファーはポカンと口を開けた。不覚にも、間抜け面を晒してしまった。 慌てて頬を撫でて表情を繕い、目の前の男を観察する。金髪を逆立てた、実に派手な男だった。そして、口で謝ってはいるものの、表情は限りなく無表情に近い。 「スコール」 「……俺は悪くない」 「いやー、すみません。こいつには私からもきつく言っておきます! では、我々も仕事が途中ですので、これにて失礼します」 クラウドが持っていたプラスチックのバケツで再度引っ叩かれたスコールという清掃員は、相変わらずサイファーを無言で睨み付け、ちらちらと振り返りながら、ようやく離れて行った。 「変な奴らだもんよ……」 「不可解」 サイファーは、クラウドの後をのろのろと付いて歩くスコールを眺めながら、ぼんやりと舌を打つ。 「あ、あいつサイファーのハンカチ持って行ったもんよ!」 「奪還、雷神」 「おう!」 「やめておけ」 「?」 サイファーのハンカチを取り戻そうと駆け出した二人を呼び止め、サイファーは声を上げて笑った。 ◆ ◆ ◆ スコールは、いつの間にかポケットに捻じ込んでいたハンカチと、自分の顔に一直線に入った傷を交互に眺め、化粧室の鏡の前で呆然としていた。 (……あの脚立のせいか) 指でなぞれば、ぴりりとした痛みが走る。 (……綺麗に切れてる……) 「おい、大丈夫か」 歩み寄ってきたクラウドが、ビンをちらつかせてスコールの顔を覗き込む。 「綺麗に切れてるじゃないか」 「……それは」 「ポーション。いるかと思ったが、必要なさそうだな」 「……」 「無言になるなよ。お前の親父さんじゃないんだ。俺にはお前が何を考えてるかわからないんだから」 「興味もないだろ」 「ああ、興味ないね」 洗面所に寄り掛かって持っていたビンを腰のポーチに戻し、クラウドはさっさとトイレから出て行った。 「そんな傷があると途端に強面だ。せめて何かで隠しておけよ。一応、客商売なんだからな」 (……俺はただのバイトだ) 客商売も何も、責任者があんな無愛想では説得力がない。 そんな風に思いながら、スコールはふっと口角を上げた。 前髪を引っ張って傷を隠してみようと試みたが、何分長さが足りない。むっと眉間に皺を寄せれば、そこが痛む。わずかな回復力とは言え、クラウドのポーションを貰っておけばよかったかもしれない。これから社内の電球の交換に走らねばならないのだから。 スコールは、再び傍らに人気を感じ、振り返った。 「クラウド、やっぱりさっきの……」 そこで言葉を失った。 「偶然だな。休憩か?」 隣に立っていたのは、あろうことか先程スコールに脚立を落としてくれたサイファーであった。 「アンタ……」 スコールはぎゅっと眉を寄せる。それがまた痛む。 そっと指で額を撫でて、そして、丁度持っていたハンカチを突き返した。 「皺だらけのハンカチを返すだなんて、礼儀がなってないな」 「アンタに言われる筋合いはない」 「言っただろう? 手が滑ったんだよ」 ひらひらと手を振ったサイファーに、スコールは肩を落とす。 (こいつには、何を言っても無駄だな) いつまで経ってもハンカチをサイファーが受け取らないので、スコールはそろそろとそれをつなぎのポケットに戻した。 確かに、わずかとは言え、血の付いたハンカチをそのまま返すのは礼儀がなっていないと言われても仕方のないことである。 相手がどんな奴であれ、だ。 (戻ろう。俺にはまだ仕事が残ってる……また変な奴に絡まれても時間を無駄にするだけだ) 「こいつには何を言っても無駄だ、なんて考えているんだろ?」 「え」 スコールはぎょっとした。 普段からあまり人に理解されるタイプではない。それが自分の性質なのだと思い、多くを語らなくなってからもう随分になる。 だから驚いた。初対面の男に考えていることをこうもあっさり見抜かれるとは。 「そんなに驚くことじゃねぇだろう」 (俺って……) 「わかりやすいか?」 「俺様からすればな」 腹が立つ。その半面、何か不思議な気持ちが湧いてくるのを感じる。 「あんた、変な人だ」 「よく言われる。上司からも」 ふんと鼻で笑ったサイファーに、スコールは思った。 (俺もだ) 思うだけで口には出さなかった。これ以上、妙な情など抱えたくはないものである。 「名前を聞いておきたい」 「はぁ? 俺のか」 「そう、だ」 「じゃあ、先にお前が名乗れ。まったく礼儀のなっていない……サイファー=アルマシーだ。よく覚えておくんだな」 礼儀云々言いながらも尊大な態度で名乗ったサイファーに、スコールはつい微笑み、そして自分も口を開いた。 「食らえ!」 「なっ!」 その瞬間、サイファーの顔面にスコールの拳が飛んだ。よろめいたサイファーの横をすり抜け、スコールはひらりと手を振る。 「スコール=レオンハートだ。忘れてくれて構わない」 まったく、変な会社には変な奴しかいないものだ。 そんな風に心の中で呟きながら、スコールはスタスタと化粧室を出た。すっかり忘れていたのだが、この会社にはあと二日間出向かなければならなかった。 しかし、今のスコールには、サイファーから何を言われても返り討ちにするくらいの意気込みがあった。 (サイファー、め) ポケットに突っ込んだハンカチを綺麗に洗って、アイロンまで掛けて突き返してやる。これで完璧な仕返しの完成だ。 スコールは溢れんばかりの愉快な気持ちを誤魔化すべく、つい口元を隠したのだった。 【 終 】 |